4月20日(日)16:00~
近代部会4月例会
テーマ 芥川晩年の作品――『早春』、『馬の脚』、『死後』をめぐって――
報告者 友重幸四郎
【予告】
芥川晩年の、妻との関係にまつわる『早春』(大正14月1月)、『馬の脚』(同1,2月)、『死後』(同9月)の三作は、「恋人および妻の心がわりであり、人間のつながりのもろさ、それからくる幻滅と孤独」(國末泰平「芥川龍之介の文学」)とされている。しかし、筆者によれば『馬の脚』についてはそう言い切れないないものを持っている。
『馬の脚』の表層には、コント的な要素がある。作品には、岡田三郎(日本にコントを紹介した人物)がいう「機知、諷刺、皮肉、解剖、綜合等、あらゆる知的作用をはたらかせて、人生を批評」するというコントの理念があり、官僚主義、家族主義、ジャーナリズム等に対する諷刺がある。それらを効果的に表出するために、枠組みとして中国の奇譚「士人甲」も利用されている。むろんそれ(コント)は表層であり、作品の奥には別なものがある。
作品前半部では、脳溢血で死を宣告された半三郎は、あの世で志那人らしき男に足を「馬の脚」に変えられこの世に戻ってくる。彼は、妻や周囲から「馬の脚」を必死で隠そうとするが、「馬の脚」は彼の思うように動かず、ある日黄塵の激しい日に失踪する。
作品後半部は、いうなれば半三郎と妻お常の物語である。半三郎は、失踪から半年後に「馬の脚」のまま自らの意志によって妻お常のもとに帰ってくる。再会の場面では、妻は夫に思わず縋ろうとするが、「馬の脚」への嫌悪感から夫に身体を投げかけることができない。そのことを察知した半三郎は、妻に背を向けて去っていく。芥川において「結婚生活といふものは幻滅」であったが、しかし、この作品においては、妻を一方的に忌避するという形にはなっていない。むしろ「夫は悲しそうに彼女の顔を眺めて」とあり、芥川が愛読した『文選』の一首を想起させるような、夫婦間の情愛さえ読みとれる。この作品の表層は面しろおかしく、しかし全体を通してその内実は悲愴である。
※『馬の脚』本文は、全集(岩波)でしか参照できません。参加ご希望の方に本文コピー(PDF)をお送りします。
『早春』と『死後』は、報告の中で触れます。特にお読みになる必要はありません。